手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は、奈良県奈良市の手向山の山麓に鎮座する、東大寺と深い歴史的なつながりを持つ神社です。
その始まりは、奈良時代の天平勝宝元年(749年)にさかのぼります。
当時、聖武天皇によって進められていた東大寺の大仏造立に際し、九州・豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡宮から八幡神を迎え、東大寺の守護神として祀ったことが手向山八幡宮の起源とされています。
現在は独立した神社として参拝できますが、もともとは東大寺の鎮守社として重要な役割を担っていました。そのため、東大寺を訪れた際には、単に「奈良公園にある神社」として見るのではなく、「東大寺の大仏造立と深く結びついて生まれた神社」として訪れると、奈良の歴史をより立体的に感じられます。
シャディのカタログギフト!お祝い、内祝い、各種ギフトに1.1 手向山八幡宮の歴史と東大寺との関係
🔸東大寺の大仏造立をきっかけに創建
手向山八幡宮の歴史を理解するうえで、まず知っておきたいのが東大寺の大仏造立との関係です。
奈良時代、聖武天皇は国家の安寧などを願い、東大寺に巨大な盧舎那仏(大仏)を造立しました。
その大仏造立にあたって、八幡神の神助を得たとされ、749年に宇佐八幡宮から八幡神を奈良へ勧請しました。
『続日本紀』には、749年12月に宇佐八幡神を迎えたことが記録されています。奈良国立博物館も、手向山八幡宮について「東大寺の毘盧舎那仏(大仏)鋳造の際、その守護神として宇佐から八幡神を勧請した」ことを起源として紹介しています。
つまり、手向山八幡宮は、東大寺の大仏造立と八幡神への信仰が結びついて誕生した神社と理解すると分かりやすいでしょう。
🔸なぜ宇佐八幡宮から神様を迎えたの?
ここで気になるのが、「なぜ奈良の東大寺に、大分県の宇佐八幡宮から神様を迎えたのか」という点です。
宇佐八幡宮は、現在の大分県宇佐市に鎮座する八幡信仰の中心的な神社です。
奈良時代には八幡神への信仰が広がっており、東大寺の大仏造立に際しても八幡神の神威が重視されました。
そこで、宇佐の八幡神を奈良へ迎え、東大寺の守護神として祀ったのが手向山八幡宮につながっていきます。宇佐市も、手向山八幡宮について「東大寺大仏造立のため、宇佐から奈良へ勧請された」と説明しています。
なお、当時の八幡神は現在の神社信仰だけでなく、仏教と深く結びついた「八幡大菩薩」信仰としても発展していきました。
このため、手向山八幡宮の歴史をたどると、奈良時代から中世にかけての神道と仏教が密接に結びついていた時代の姿を見ることができます。
🔸当初は現在の場所にあったわけではない
現在の手向山八幡宮は、東大寺大仏殿の東南、手向山の山麓にあります。
しかし、創建当初から現在地に鎮座していたわけではありません。
749年に宇佐から迎えられた八幡神は、まず平城宮の南にあった梨原宮に祀られ、その後、東大寺大仏殿付近へ移されたとされています。
そして、鎌倉時代の建長2年(1250年)に現在の場所へ遷座したと伝えられています。奈良女子大学の資料でも、手向山八幡宮を東大寺の鎮守神とし、宇佐八幡を勧請したことを起源として紹介しています。したがって、749年に創建 → 東大寺と深い関係を持つ → 現在地へ遷座という流れを知っておくと、手向山八幡宮の歴史が理解しやすくなります。
🔸「東大寺の中にある神社」なの?
初めて訪れる人が混同しやすいポイントですが、現在の手向山八幡宮は東大寺とは別の神社です。
ただし、歴史的には東大寺の鎮守社として長く東大寺と密接な関係にありました。
特に重要なのが、明治時代の神仏分離です。
それ以前は、神社と寺院が一体となって信仰される神仏習合が一般的で、手向山八幡宮も東大寺の鎮守社として位置づけられていました。
明治初年の神仏分離の影響によって、手向山八幡宮は東大寺から独立した神社となります。東大寺側に移された八幡神の像として、現在も国宝「僧形八幡神坐像」が伝わっています。
そのため、現在の参拝では、東大寺=寺院、手向山八幡宮=神社と区別しながらも、両者には奈良時代から続く深い歴史的なつながりがある、と理解するとよいでしょう。
🔸東大寺とのつながりを感じられる「転害会」
手向山八幡宮と東大寺の歴史的な関係を、現在でも感じられる行事が「転害会(てがいえ)」です。
転害会は、毎年10月5日に行われる手向山八幡宮の例大祭です。
八幡神を宇佐から奈良へ迎えた際、東大寺の転害門が御旅所とされたことに由来するとされ、現在も手向山八幡宮から転害門へ神輿を迎える神事などが行われています。
つまり、手向山八幡宮は現在も祭礼を通して、「東大寺の大仏造立のために八幡神を迎えた」という歴史を伝えている神社なのです。
観光で訪れる場合も、境内だけを見るのではなく、東大寺や転害門との位置関係を意識すると、より興味深く参拝できます。
1.2 手向山八幡宮の御祭神
手向山八幡宮では、手向山八幡宮では、応神天皇・比売大神・仲哀天皇・神功皇后が本殿の御祭神として祀られています。また、若宮には仁徳天皇が祀られています。
それぞれの神様を簡単に見ていきましょう。
① 応神天皇(おうじんてんのう)
手向山八幡宮の中心となる御祭神です。
応神天皇は、八幡神として広く信仰されている神様です。
手向山八幡宮の場合も、749年に宇佐八幡宮から迎えられた八幡神とのつながりが、神社の歴史を理解する重要なポイントになります。
「八幡宮」という名前を持つ神社では、応神天皇を御祭神として祀る例が多く、手向山八幡宮もその一つです。
② 比売大神(ひめおおかみ)
比売大神は、八幡信仰において応神天皇や神功皇后とともに祀られる神様です。
ただし、「比売大神」が具体的にどの神様を指すかについては、八幡宮によって解釈や伝承に違いがあります。
そのため、手向山八幡宮については、単純に特定の女神と断定するよりも、「比売大神という神様が祀られている」と説明するほうが正確です。
③ 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
仲哀天皇は、応神天皇の父とされる天皇です。
手向山八幡宮では、八幡信仰と関係の深い神様として祀られています。神功皇后との関係も深く、八幡神を理解するうえで重要な存在です。
④ 神功皇后(じんぐうこうごう)
神功皇后は、仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母とされる人物です。
八幡信仰では、応神天皇・仲哀天皇とともに祀られることが多く、手向山八幡宮でも御祭神の一柱となっています。
歴史上の人物としての記述と、神社で信仰される神様としての位置づけは分けて考える必要がありますが、手向山八幡宮では八幡信仰を構成する重要な神様の一柱です。
⑤ 仁徳天皇(にんとくてんのう)
仁徳天皇は、応神天皇の皇子とされる天皇です。手向山八幡宮では、御祭神の一柱として祀られています。
🔸手向山八幡宮の歴史を簡単にまとめると
手向山八幡宮について、初めて訪れる方が覚えておきたいポイントは次のとおりです。
・749年、東大寺の大仏造立に際して宇佐八幡宮から八幡神を勧請
・東大寺の鎮守・守護神として信仰された
・当初は現在地ではなく、平城宮南の梨原宮に祀られた
・その後、東大寺大仏殿付近を経て、1250年に現在地へ遷座
・明治時代の神仏分離によって、現在のような独立した神社となった
・現在も転害会などを通して、東大寺との歴史的なつながりが伝えられている
・御祭神は応神天皇・比売大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇
特に重要なのは、手向山八幡宮が単なる「東大寺周辺の神社」ではなく、東大寺の大仏造立をきっかけとして生まれ、東大寺の鎮守として長く信仰されてきた神社だという点です。
東大寺を訪れる際に手向山八幡宮にも足を延ばせば、奈良時代の大仏造立、宇佐八幡宮からの神迎え、神仏習合、明治時代の神仏分離という、奈良の宗教史を一つの場所でたどることができます。